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昭和28年 |
東館4部屋を増築、鏑木清方命名。花桐、桧垣、若竹、田毎。 |
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| 昭和33年 |
正太郎没、長男の秀男、創元社(出版社)を退社、家業を継ぐ。 |
| 昭和35年 |
森蘊設計監督「加満田庭園」完成。 |
| 昭和36年 |
水上勉が初来湯、かつが小林秀雄に引き合わせる。その後、両氏の交流は湯河原でのゴルフ、酒を通じ、小林が亡くなるまで続く。 |
| 昭和37年 |
別館5部屋を増築、小林秀雄命名。万天星、木犀、躑躅、南燭、萩。※ |
昭和38年
6月〜12月 |
水上勉逗留、その後数年に亘り1年の半分を加満田で執筆活動をし、「飢餓海峡」、「越前竹人形」等、代表作を生み出す。当時、嵐山光三郎は編集者として原稿を度々取りに来湯した。 |
| 昭和45年 |
西館4部屋を増築、田実渉(三菱銀行頭取)命名。丹頂、白鷺、川蝉、孔雀。 |
| 昭和54年 |
本館2部屋と大広間、大浴場を増築、水上勉命名。せんりょう、まんりょう。 |
| 平成2年 |
鎌田茂之(秀男の長男)は大橋るりこ(現女将)と結婚。 |
| 平成6年 |
創業時の建物を取り壊し、大浴場、中広間を増築。 |
| 平成9年1月 |
かつ没、享年91歳。水上勉葬儀委員長をつとめる。
かつは、正太郎亡き後、自ら畑で作った野菜でもてなす等、白髪のおばあちゃんとして雑誌やテレビに「名物女将」として紹介され、水上勉はじめ本田宗一郎、尾上松録、坂本九など多くの来湯客から愛された。 |
| 平成11年 |
男女露天風呂を増築。現在に至る。 |
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※ 室名の漢字は小林秀雄の命名時のものを使用。
注)先生方の敬称は略させていただきました。 |