奥湯河原温泉 加満田   清水崑作 かっぱ
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加満田の歴史 昭和14年創業から今日までの歩み
「加満田」初代館主であった鎌田正太郎(1899年生)は、大正13年に、大塚かつ(1905年生)と結婚。

築地魚河岸にて魚問屋を営んでいたが、戦時下営業の将来を見透かし、知人の勧めもあり、昭和14年(1939)湯河原梅園台温泉付き分譲地400坪を購入、木造2階建13室の旅館「加満田」を開業する。「加満田」という屋号は、築地市場外の波除神社の宮司が本名の「鎌田」から命名。

泉質の良いことから第二次世界大戦中は横須賀海軍より要請を受け、仮療養所となる。戦後、旅館業を再開。

昭和22年、宇野千代が発刊する「文體」の原稿を執筆のため、小林秀雄を加満田に缶詰。これが作家を缶詰にした第1号だ。その折「ゴッホの手紙」を執筆。以来、小林秀雄は亡くなるまで30数年正月を加満田で過ごした。

玄関脇の帳場の奥にはいろりがあり、林芙美子、今日出海、獅子文六、坂口安吾はじめ、多くの文人達が正太郎と酒を酌み交わした。

また、昭和20年代は、東京方面からの新婚旅行客が多く、近頃金婚式の記念に再び当館を訪れる方がある。
開業時の全景
加満田 鎌田 正太郎 かつ
昭和28年
東館4部屋を増築、鏑木清方命名。花桐、桧垣、若竹、田毎。
昭和33年 正太郎没、長男の秀男、創元社(出版社)を退社、家業を継ぐ。
昭和35年 森蘊設計監督「加満田庭園」完成。
昭和36年 水上勉が初来湯、かつが小林秀雄に引き合わせる。その後、両氏の交流は湯河原でのゴルフ、酒を通じ、小林が亡くなるまで続く。
昭和37年 別館5部屋を増築、小林秀雄命名。万天星、木犀、躑躅、南燭、萩。※
昭和38年
 6月〜12月
水上勉逗留、その後数年に亘り1年の半分を加満田で執筆活動をし、「飢餓海峡」、「越前竹人形」等、代表作を生み出す。当時、嵐山光三郎は編集者として原稿を度々取りに来湯した。
昭和45年 西館4部屋を増築、田実渉(三菱銀行頭取)命名。丹頂、白鷺、川蝉、孔雀。
昭和54年 本館2部屋と大広間、大浴場を増築、水上勉命名。せんりょう、まんりょう。
平成2年 鎌田茂之(秀男の長男)は大橋るりこ(現女将)と結婚。
平成6年 創業時の建物を取り壊し、大浴場、中広間を増築。
平成9年1月 かつ没、享年91歳。水上勉葬儀委員長をつとめる。
かつは、正太郎亡き後、自ら畑で作った野菜でもてなす等、白髪のおばあちゃんとして雑誌やテレビに「名物女将」として紹介され、水上勉はじめ本田宗一郎、尾上松録、坂本九など多くの来湯客から愛された。
平成11年 男女露天風呂を増築。現在に至る。
※ 室名の漢字は小林秀雄の命名時のものを使用。
注)先生方の敬称は略させていただきました。
ご寄贈いただいた品より
尾上 松緑 十七代 中村 勘三郎
尾上 松緑
十七代 中村 勘三郎
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